ここで培われてきた文化を掘り下げ、受け継がれてきた歴史を感じるWEBアーカイブ。
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馬籠は慶長5年(1600)から始まった街道整備で新設された宿場を中心とする村に変わっていきます。
ただし、宿場は村内にあった機能の一つであり、 それが村の全てというものでもありませんでした。
このコンテンツでは、当時の宿場や村の環境・様子を紹介します。
『馬籠宿』にも代表される『宿』とは交通インフラとして設置されたものであり、 幕府の道中奉行および藩の支配下にあるものでした。
宿場には公用人馬の継立等を担当する問屋、大名などの宿泊休憩に備える本陣・脇本陣・旅籠などがおかれ、 さらにこれらの業務を担当する人々で構成されました。
また、旅をする庶民を相手とする茶屋や店舗が発達する事で、 宿場町は民衆に親しまれた『旅行基地』的な性格も帯びていました。
ここでは馬籠宿について、『宿役人』、『物流・輸送』、『宿泊・休憩』の3分野にわけて解説します。
馬籠宿はあくまで交通のインフラに過ぎず、領主(藩など)が定めたルールに則って、 一定の広さの地域住民をまとめて地域経営する為の地域行政区分は『村』でした。
当地もまた、宿誕生以前から長らく『馬籠村』と呼ばれてきており、 宿場町はこの馬籠村の人たち、また、時には周辺の村々の人たちが支えていました。
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